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2017年9月21日、
宮城県女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」の分散総会に出席させていただきました。

17メートルとも、場所によっては20メートルを超えていたとも言われる
女川町を襲った想像を絶する大津波は、
約170の店舗で構成されていた6つの商店街すべてを一瞬で破壊し、
多くの命と共に街の機能を奪い去りました。

 

2012年4月29日、高台にあった女川高校のグラウンドに、
きぼうのかね商店街が誕生しました。

50店舗が入る被災地域最大級(当時)の復興商店街は、
国によって提供されたものではなく、
民間主導で作られたことがこの事業の驚くべきところです。

 

木製の建物については、
鎌倉に本拠地を置く、省エネ系の建築では日本トップレベルの業界団体
パッシブハウス・ジャパンさんが設計。
限られた予算の中でも断熱材、ペアサッシなどを取り入れて、
仮設とは思えない省エネ性能を実現し、
入居者の方々は皆、暖かくて快適とお話されていました。

 

オープンから5年6ヶ月の期間を経て、
このきぼうのかね商店街が幕を閉じます。

 

「住み残る街、住み戻る街、住み来る街」

 

女川駅も生まれ変わり、海に向かう美しい街が作られました。
街には町外からの観光客や、インターンで住み込んでいる子たちもいます。

 

きぼうのかね商店街は一つの役割を終え、
復興から発展へと女川町はまた次のスタートを切ったのだと思います。

 

行くたびに学ばせていただく女川町。
なぜこの町では特別に早く物事が進んでいったのか。
なぜこの町には多くの人材が震災後に誕生したのか。
なぜこの町に多くの支援者たちが集まったのか。
肚の座った熱を持つ言葉の持ち主たちとお話していると分かる気がします。

 

なんのために街を作っていくのか。
女川では震災後すぐに「教育」を一番大切にすると決めたそうです。
大義や信念を置き忘れてパワーゲームに終止する、
わが町、わが国の公人(とその取り巻き)を見ていると残念な気持ちになりますね。

町並みは変わっていく一方で、
ずっと変わることのない傷跡があることを決して忘れないようにして、
東北の地へ目を向け時には足を向けて行きたいと思います。
過分なまでのご対応をいただきまして本当にありがとうございました。
生涯の絆としてこれからもずっと仲間づきあいを願うところです。